Vimで作るウェブログ

仕事環境と人間関係を勘違いするとまずいという話

約一か月ブログ更新が止まってたので久々に書いてみようかと。あとこれは見てる人には全くわからないけど、今まではLinux環境でVimを使ってやってたけど、Win環境でサクラエディタを使って書いてます。

この5ヶ月間は私生活において仕事環境が変わり、うまく時間調整ができなかったことでブログも止まれば、予定していた英語や哲学の勉強もほぼ停滞。あとJavaScriptも止まってた。仕事に追われて余裕が無くなっていた次第。まだペースは掴めてないものの多少は精神的余力を残した状態で帰宅できるようになったため、停滞してた事をちょっとずつやっていければなと。まずはブログの再開。

今回サクラエディタを使って更新した理由は仕事に関係あったりと。多少htmlを触る可能性のある職場であり、且つWinのメモ帳を使ってやるような環境だったりするので、そこに合わせてメモパッド系に慣れておこうという魂胆。HP名がVimで作るウェブログなのが気になるものの、しばらくはVimとサクラエディタの両方使う予定。

そろそろ本題です。生活環境が変わればやる気も変わるという事で、それはもう上気した内容で、おおまかな理由もそれに同じです。ただなぜやる気が変わるのか?そもそもやる気の問題なのか?と言えばそうでも無く、簡潔に言うと仕事の時間と重圧で精神と体力が尽きていた、つまり仕事に疲れていたかと思う。

仕事に疲れる理由は人間関係とあとは業務内容がガラッと変わった事による環境の変化。特に人間関係がうまく行っておらず、そこに拍車をかけて新しい仕事を覚えるという負荷。自分が環境にうまく合致すれば良かったが、残念ながらそうでは無いこともありさらなる精神的負荷が上乗せされる事に。その上で新しい仕事を覚えて、と…正直パンクしてたかなと。

この状態の最もまずいパターンがこれ。仕事がうまくいかない → 周りの人間から責められる → 焦ってもっとうまくやらなきゃと動く → 冷静さに欠けてうまく動けなくなる → 周りの人間から責められる → エンドレス……となってしまう事。これにハマりかけていた事でちょっと前まで持っていた向上心というか「やる気」が消えて行っていたというわけでして。

この「周りの人間から責められる」という部分が特に重圧に感じていたのです。しかしふと思い返すと実は誰にも責められてないなと。なぜか「周りに責められるからしっかりやらねば」とそう思っていたわけで、しかもそれに胸を圧迫されるような辛さも覚えてたので。ここに来てようやく「これ何だろうな」という疑問を抱いた次第。

ようやく行きついたのは「責めているのは自分だった」という答え。過去に怒られたり注意された記憶や経験から、なんとなくこうしたら「自分は責められる」と決めつけてたんだろうなと。そうならないために事前に「自分が自分を責める」ことで回避しようとした結果ではないだろうかと。そう思うとこの5ヶ月のことがスッと心に入ってくるから間違いなさそうで。これに気が付くと自然と心が回復してきて元々持っていたやる気も戻ってきた。

そもそも本当に「周りに責められていた」とした場合、「自分が自分を責める」必要があるのかどうかは疑問である。結局は他人に認められない自分をダメと思うか良しとするかだけなのではないかと。で、もしもダメと思う時、それはたぶん相手に責められるのが嫌という気持ちが先立ち、それを回避するために動くことを選んだ時だろうなと。でもこれは自分を大事にしてないなと。他人の想いを優先して自分をないがしろにしてるだけのような気がする。

逆に責められても良しとする時は、自分を偽らずに自分と向き合っているという事になるのかしら?心の分野の専門家じゃないので本当のところは謎だけど、こと自分についてはこの考え方であっていると思う。心とやる気が戻ったわけなので。

というわけで自我を取り戻したところで諸々再開していこうと決意しました、というだけの話でした。

2021年8月18日